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背景を知ると5倍楽しめる『トスカーナの幸せレシピ』〜ありのまま向き合うということ〜

· 27 min read

客観的に人や事実を見つめるのは意外と難しいものです。他人の才能、個性、功績などを聞いた時に「若いのに」、「ご高齢なのに」、「男性だから」「女性だから」などと様々な情報が紐づいてしまう事があります。

「ありのまま」を見つめるのは難しい

客観的に人や事実を見つめるのは意外と難しいものです。他人の才能、個性、功績などを聞いた時に「若いのに」、「ご高齢なのに」、「男性だから」「女性だから」などと様々な情報が紐づいてしまう事があります。

多くの場合においては、物事を理解する上で必要な紐付けなのかもしれません。出来事や事実の背景を知っているからこその発言とも取れますが、一方で実は単なるイメージや固定観念で付いてしまっているという場合も多いのではないでしょうか?

障害と聞くと、その言葉から「障害者には何かしらできない事がある」とイメージする人が多いでしょう。そのため、障害を持った人が素晴らしい才能を持っていたり、素晴らしい功績を収めたりすると、「障害があるから」や「障害なのに」といった障害と才能を結びつけて捉えられてしまう事が多々あります。ですが、ここの紐付けは本当に必要な紐付けなのでしょうか?

『トスカーナの幸せレシピ』では、障害と才能を切り離し、障害も、才能も、そのキャラクターに与えられた1つの個性として描かれています。が、これは単に理想論として、描かれた映画というわけではなく、実はイタリアの史実や障害に対する考え方が如実に反映されているのです。

今回の記事では、本作の背景となっている、イタリアでの障害に対する考え方、歴史的大転換やインクルーシブ教育、さらに日本との違いについて詳解していきます!

あらすじ

海外の超一流店で料理の腕を磨き、開業したレストランも成功させた人気シェフのアルトゥーロ。しかし、共同経営者に店の権利を奪われたことで暴力事件を起こし、順風満帆だった人生から転落。地位も名誉も信頼も失った彼は、社会奉仕活動を命じられ、自立支援施設「サン・ドナート園」でアスペルガー症候群の若者たちに料理を教えることになった。 無邪気な生徒たちと、少々荒っぽい気質の料理人の間には、初日からギクシャクした空気が流れる。だがそんな生徒のなかに、ほんの少し味見をしただけで食材やスパイスを完璧に言い当てられる「絶対味覚」を持つ天才青年グイドがいた。祖父母に育てられたグイドが料理人として自立できれば、家族も安心するだろうと考えた施設で働く自立支援者のアンナの後押しもあり、グイドは「若手料理人コンテスト」へ出場することになった。アルトゥーロを運転手にして、グイドは祖父母のオンボロ自動車に乗り込み、コンテストが開催されるトスカーナまでの奇妙な二人旅が始まる。「コンテストで優勝すれば、賞金がもらえて、車を買えて、恋人ができる!」とハイテンションなグイドに対し、運転を任されたアルトゥーロは道中ずっと同じ曲をエンドレスで聴かされたり、ホテルの部屋は殺虫剤の臭いがキツいからと車中泊を強いられたり、天真爛漫だがこだわりの強いグイドのペースにすっかり巻き込まれてしまうのだった...。

道中トラブルに見舞われながらも何とかトスカーナに到着し、多くの人々が注目するなか、いよいよ3日間にわたる料理バトルがスタート。一次予選はグイドお得意の「試食による材料当て」。二次予選は「課題料理の調理」。これらを勝ち抜いた2名だけが決勝戦に臨むことができるのだ。才能のすべてをかけた大一番に挑むグイドだったが、ちょうど時を同じくしてアルトゥーロ自身にも再起をかけた大きな仕事が舞い込み、コンテストの途中で帰らざるをえない事態に陥る。今や師弟関係以上の絆で結ばれたアルトゥーロとグイド。果たして二人の“夢”は叶えることができるのか......。

引用:『トスカーナの幸せレシピ』公式サイト

何が違うの?日本とイタリア

『トスカーナの幸せレシピ』では、アスペルガーの障害も、料理の才能も、グイドに与えられた単なる個性であり、「障害を持っているから」と特別扱いされることはありません。

その描写の背景には、イタリアの障害者支援に対する考え方や環境が影響していると言えます。イタリアでの障害者支援の取り組みは、日本とは異なっています。

イタリアにはバザーリア法という法律によって精神病院や特別支援学校がほぼ存在せず、障害の有無関係なく生徒が共に教育を受けるインクルーシブ教育が推進されています。

初めは同じだった?!隔離から始まった法律

今でこそイタリアと日本では異なっていますが、最初の精神障害関連の法律を成立させた時期はほぼ同じでした。イタリアでは、1904年の法律第36号「ジョリエッティ法」、日本では1900年の精神病者監護法です。

**ジョリエッティ法では、自発的入院の規定はなく、強制入院のみが定められ、その要件は本人にとっての治療の必要性ではなく、社会的な危険性などにありました。**日本の精神病者監護法の目的も精神病者の管理と隔離でした。

同じような法制度から始まった両国の精神科医療福祉の歴史ですが、イタリアでは1978年のバザーリア法によって障害がある人を隔離するのではなく、地域で支えていくようになります。しかし日本では、障害者の管理と隔離の思想が現在も根強く残っていると言えます。

イタリアの大きな方向転換

イタリア社会は60年代頃、精神障害者だけでなく全障害者の人権問題のほか、貧困問題の深刻化による児童労働問題、女性差別などの問題によって、全国で労働運動や学生運動が広がりました。

こうした状況の中で、精神科医であるフランコ・バザーリア(Franco Basaglia)医師を中心に精神病院の解体、精神医療の改革の取組み、運動が広がっていきました。

1978年にバザーリア法が公布されたことで、精神科病院の新設、既存の精神科病院への新規入院、1980年末以降の再入院が禁止され、予防・医療・福祉は、原則として地域精神保健サービス機関で行われることとなります。

精神病患者が隔離されることは必要最小限に留まり、患者の自由意志に委ねられることになりました。

イタリアの精神保健の世界において、バザーリア法の成立が、それまでの「精神医療」を一般の医療へ位置づけ、そして人間の尊厳を取り戻し、単なる「治療」行為からひとり一人のその人らしい暮らしができるよう他者が「配慮」(詳細は後述)するという「精神保健」への転換に繋がったと認識されている。

また精神病院だけではなく、特別支援学校の廃止、インクルーシブ教育の推進など、障害を持った人を隔離するのではなく、障害の有無にかかわらず人々が地域社会で共生していくことが重要視されるようになりました。

参照:濱田健司「イタリアの社会的農業と精神保健 ―「配慮」と「成熟」―」

教育も変えたイタリア

バザーリアが精神保健改革を行ったのと同時期、イタリアの教育は「インクルーシブ教育」に大きく方向を転換しました。イタリアでは、障害のある子供もそうでない子供も、同じ学校で学び、生活しています。

イタリアでは、法律第104号「障害者の支援・社会統合・諸権利」が1992年2月5日に制定されました。この中の第12・13条に、「障害のある子どもの教育と学校教育の権利」が含まれ、幼稚園から大学まで全ての学校教育段階で、インクルーシブ教育が保障されています。そして2009年時点で99.60%の障害児がインクルーシブ教育を受けていることが報告されています。

イタリアは,公立の特殊教育学校及び通常の学校内にも特殊学級が存在しない国である(藤原,2010)。EU 圏諸国におけるインクルーシブ教育を受けている障害者の比率(2009)をみると,イタリアは99.60% の障害児がインクルーシブ教育を受けていることが明らかになった(韓・小原他,2013)。また,韓・小原他(2013)は,イタリアのインクルーシブ教育を支える様々な取り組みとして,支援教師の配置,学級小規模化,個別教育計画の作成,関係機関(特に地域保健機関)との連携協力などがあると記している。

参照:藤原紀子「イタリアにおけるインクルージョンの変遷と1992年第104法」若松昭彦「インクルーシブ教育システムの推進に関する一考察」

イタリアでインクルーシブ教育が成り立つのは、徹底した個々への支援、特別な教育手立てが提供されているからだと言われています。それぞれの学校には支援教師が配置され、学級は小規模化されています。また、それぞれの障害の特徴にあった個別教育計画が作成されています。さらに、地域保健機関などとの連携協力も充実しているのです。

あとを追う日本

バザーリア法で大きく方向転換したイタリアですが、現在の日本と何が違うのでしょうか。

まず精神病院に関して、現在日本は世界の精神病床の約2割にあたる約35万床もの精神病床を有する精神病院大国だと言われています。

一方教育面では日本でも現在インクルーシブ教育を進めようと様々な活動がなされています。

インクルーシブ教育は2006年に国連総会で採択された、「障害者の権利に関する条約」で明記されたことがきっかけに各国で広まりつつあります。

「障害者の権利に関する条約」には、「あらゆる段階における障害者を包容する教育制度(an inclusive education system)及び生涯学習を確保する。」ことと「障害者が障害を理由として教育制度一般から排除されないこと(not excluded from the general education system)」が記されています。

日本では「障害の有無にかかわらず、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う共生社会」を目指すことを目標に掲げ、文部科学省が中心となってインクルーシブ教育を進めようと「特別支援教育」という政策を打ち出しました。

引用:文部科学省

「特別支援教育」とは、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うものです。 平成19年4月から、「特別支援教育」が学校教育法に位置づけられ、すべての学校において、障害のある幼児児童生徒の支援をさらに充実していくこととなりました。

文部科学省の「特別支援教育の在り方に関する特別委員会報告」では「特別支援教育」の必要性について述べています。

○ 特別支援教育は、共生社会の形成に向けて、インクルーシブ教育システム構築のために必要不可欠なものである。そのため、以下の考え方に基づき、特別支援教育を発展させていくことが必要である。このような形で特別支援教育を推進していくことは、子ども一人一人の教育的ニーズを把握し、適切な指導及び必要な支援を行うものであり、この観点から教育を進めていくことにより、障害のある子どもにも、障害があることが周囲から認識されていないものの学習上又は生活上の困難のある子どもにも、更にはすべての子どもにとっても、良い効果をもたらすことができるものと考えられる。 ・特別支援教育の推進についての基本的考え方として、第一に、障害のある子どもが、その能力や可能性を最大限に伸ばし、自立し社会参加することができるよう、医療、保健、福祉、労働等との連携を強化し、社会全体の様々な機能を活用して、十分な教育が受けられるよう、障害のある子どもの教育の充実を図ることが重要である。なお、特別支援の教育の基本的考え方である、子ども一人一人の教育的ニーズを把握し、適切な指導及び必要な支援を行うという方法を、障害のある子どものみならず、障害があることが周囲から認識されていないものの学習上又は生活上の困難のある子どもにも適用して教育を行うことは、様々な形で積極的に社会に参加・貢献する人材を育成することに繋がり、社会の潜在的能力を引き出すことになると考える。 ・第二に、障害のある子どもが、地域社会の中で積極的に活動し、その一員として豊かに生きることができるよう、地域の同世代の子どもや人々の交流等を通して、地域での生活基盤を形成することが求められている。このため、可能な限り共に学ぶことができるよう配慮することが重要である。それが、障害のある子どもが積極的に社会に参加・貢献するための環境整備の一つとなるものである。 ・そして、第三に、特別支援教育に関連して、障害者理解を推進することにより、周囲の人々が、障害のある人や子どもと共に学び合い生きる中、公平性を確保しつつ社会の構成員としての基礎を作っていくことが重要である。次代を担う子どもに対し、学校において、これを率先して進めていくことは、インクルーシブな社会の構築につながる。これは、社会の成熟度の指標の一つとなるものである。

共生社会の実現のために「インクルーシブ教育システム」の理念が重要であるということが読み取れます。その構築のためには、特別支援教育を着実に進めていくだけではなく通常の学校に在籍する児童生徒の観点からの取り組みも積極的に進めていかなければならない重要な課題だといえます。

**しかし、実際には 障害児のための学校である「特別支援学校」が 「特別支援教育」実施後に増設され続け、就学者数も近年になって増加傾向が見られます。**また、これまで普通学級で学んでいた軽度発達障害の子どもにも配慮が必要との理由で 特別支援学級で個別的に指導を受けるという場合も増えているのが現状で���。

公教育の現場では、障害者と非障害者のあいだで、実施されている教育の内容、教育環境、卒業後の進路先にいたるまで、完全に切り離されています。

文部科学省が掲げているコンセプトと逆方向に向かっているという事実から、イタリアが過去様々な試行錯誤の末辿り着いたのと同じように我々もまだたくさんの試行錯誤が必要であるといえます。

「病気を括弧でくくって、人を見る」

この言葉は、バザーリア医師のものであり、映画にもこの考え方が反映されていると言えます。

『トスカーナの幸せレシピ』では、支援者や家族たちなど周囲がアスペルガー症候群の人々に対して過度に特別扱いする様子はありません。

グイドが持つ料理の才能は天才的なものとして描かれていますが、「アスペルガー症候群だからこその才能」や「アスペルガー症という障害を乗り越えた天才」といった描写はありません。

アスペルガー症候群も、料理の天才的才能も、グイドというキャラクターに与えられた1つの個性であり、アルトゥーロも、グイドも、お互いに影響を与え合います。

この映画では、まさに日本が目標とする**「障害の有無にかかわらず、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う共生社会」**が描かれています。

まとめ

この記事では『トスカーナの幸せレシピ』について5倍面白くなる日本とイタリアの異なる障害に対する考え方、イタリアの独自の法律バザーリア法やインクルーシブ教育について詳解しました。

『トスカーナの幸せレシピ』が、典型的な描き方である障害を持った主人公の成長物語ではなく、男二人のバディ・ムービーとして成立するのは、「病気を括弧でくくって、人を見る」という言葉を映画でうまく表現しているからこそなのかもしれません。

見たいと思った方は、ぜひこちらへ!

https://tsutaya.tsite.jp/item/movie/PTA00010A78Q?sc_int=tsutaya_search_image_201610

バザーリア医師の取り組みは、『人生、ここにあり!』という映画にもなっています。

https://tsutaya.tsite.jp/item/movie/PTA00007XKV5

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サムネイル出典:2018 VERDEORO NOTORIOUS PICTURES TC FILMES GULLANE ENTRETENIMENTO