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『アイ・アム・サム』の疑問を解決!【詳解】

· 29 min read

『アイ・アム・サム』は2001年に製作され、日本でも2002年に公開されました。名作と呼ばれる作品であり、公開から20年経った今なお、たくさんの人々に愛されている作品です。

はじめに

『アイ・アム・サム』は2001年に製作され、日本でも2002年に公開されました。名作と呼ばれる作品であり、公開から20年経った今なお、たくさんの人々に愛されている作品です。

父と子の絆が描かれた感動の名作ですが、鑑賞中に疑問を感じる場面がありませんでしたか?

よくよく考えると、なぜ知的障害を持ったサムが当時のスターバックスで働けているのか?児童福祉局とは?ソーシャルワーカーとは?『緑の卵とハム』って本当にある絵本?アイホップってどんなお店?などと疑問に思われた箇所があるかと思います。

この記事では、そんな疑問を解決していきます!

まずはあらすじで内容を振り返ってみましょう。

※以下ネタバレを含みます。

あらすじ

スターバックスで働くサムは、知能指数が7歳程度しかない知的障害を抱えるも、身寄りのない女性レベッカと暮らしていました。そのレベッカが妊娠して生まれた女児に、サムはルーシー・ダイアモンドと名付けます。

ところがレベッカは退院後にすぐ姿をくらましてしまいます。育児に苦労するサムでしたが、隣人女性のアニーや、サムと同じ知的障害の4人の仲間たちの協力もあってルーシーはすくすくと成長していきます。

ところがルーシーが小学生になった頃に、サムと娼婦が偶然店に居合わせたところ警官に買春容疑で誤認逮捕されるという事件が起きます。これによりサムは児童福祉局から目をつけられてしまいます。

父としての養育能力がないと判断されたサムは法廷で争う決意をし、腕の立つリタに弁護を依頼します。しかし弁護側の証人からは有効な証言が得られずに不利な立場に追い込まれ、ついにルーシーは共同親権で里親に引き取られてしまうのです。

意気消沈するサムの姿を見て親子の絆を認識したリタは一計を案じます。それはサムが里親のランディが住む近所に引っ越し、仕事も変えてルーシーと会いやすくするようにしたのです。サムとルーシーの親子愛に気づいたランディは、ルーシーは普段はランディの家で暮らしながら、好きな時にサムと会えるという権利を受け入れました。

親権を取り戻したサムは、リタや4人の友人たちと共に、サッカープレイに勤しむルーシーの姿を見守るのでした。

引用:ciatr

結構前に見たのでどんな内容だったか忘れてしまった!という方でも、あらすじで内容を思い出すことができたでしょうか。

内容の振り返りができたところで、次に『アイ・アム・サム』の疑問について映画の流れに沿って詳解していきます!

サムはなぜアルバイトができるのか

冒頭、サムがスターバックスで働いているシーンから始まります。その後も、サムはピザハットや犬の世話など様々なアルバイトを経験します。2001年当時も現在も、日本では知的障害を持った人々がそういった場所で働いているのを見かける機会は少ないと思います。しかし公開された2001年、20年も前の時点で、なぜサムは多様な場所で働くことができていたのでしょうか。

実はアメリカでは障害者の雇用を推進する政策や法律が当時から整備されていたからです。

そのアメリカの障害者雇用への政策的な法制度として、「1973年のリハビリテーション法(Rehabilitation Act of 1973)」と「1990年障害を持つアメリカ人法(Americans With Disabilities Act of 1990)」(ADA)があります。

リハビリテーション法 1973年にリハビリテーション法が制定された。ADAが制定される以前の公民権法では障害者は法の適用範囲になかったため、リハビリテーション法で対応していた。リハビリテーション法では障害者への差別禁止が謳われている。それは「①連邦政府における差別禁止(同法501条)、②連邦政府機関から補助を受けている事業における差別禁止(同法504条)、③連邦政府機関との間に年間2,500ドル以上の契約高を持つ企業における障害者の採用や昇進にあたっての積極的差別是正処置(affirmative action)の義務づけ(同法503条)…

障害を持つアメリカ人法 連邦法であるADAのⅠ章は「雇用」について定められており、①雇用における差別の概念と禁止:(いかなる適用対象事業体も、応募手続き、従業員の採用や解雇、給与、報酬、昇進、業務訓練、およびその他の雇用の条件処遇および特典に関して、有資格の障害者のある人を障害ゆえに差別してはならない)…

引用:熊本学園大学 宇野木康子「精神障害者を巡る制度と政策(二)ー日本とアメリカの就労支援の視座からー」

リハビリテーション法、ADAの施行後も依然として障害者の雇用問題の根本解決には至りませんでした。そのため大統領タスクフォースが設立されます。

1998年にクリントン大統領の命令により、労働長官を議長とし、教育省、保健福祉省、運輸省、社会保障庁、雇用機会均等委員会など14の関係官僚レベルのメンバーからなる「成人障害者の就業に関する大統領タスクフォース」(Presidential Task Force on the Employment of Adults with Disabilities)が設立された。これは、ADA施行後も障害者雇用率が伸び悩んでいることを踏まえ、障害者の雇用率を障害のない人の雇用率に限りなく近づけるために、徹底した政策の見直しと提言を行うことを目的としたものである。

引用:日本障害者雇用促進協会 障害者職業総合センター「第3章 アメリカにおける障害者雇用施策の現状と課題」

タスクフォースの取り組み後も改善は見られましたが解決には至らず、以後も障害者雇用政策局の設置(2001)や障害者就業支援の政策「カスタマイズ就業」(2001)といった政府の取り組みもあり、障害者の雇用率は上昇していきます。

・雇用に関する全体的な傾向

アメリカにおける18歳から64歳の障害のある人々の就業率は、1986年から1994年にかけて低下した(1986年34%、1994年31%)。その後、障害のある人々の就業率は1998年には29%にまで低下し、2000年には32%、2004年には35%と順に上昇した。

引用:日本障害者雇用促進協会 障害者職業総合センター「第3章 アメリカにおける障害者雇用施策の現状と課題」

1970年代以降、アメリカでは、リハビリテーション法や障害を持つアメリカ人法(ADA)といった障害者雇用に向けた法律、政府のさまざまな政策によって、障害者の雇用が社会に広がっていきました。そのため、2001年当時、サムが社会に出て働くことは法律によって保障されていましたが、軽度及び中度の障害のある人々が働くことがやっと認められ始めた状況だったのです。

児童福祉局とは?

サムが警察に誤認逮捕されてしまったことで、児童福祉局から目をつけられます。そのことでルーシーと離ればなれになってしまいますが、そもそも児童福祉局とはいったいどういう組織なのでしょうか。

児童福祉局とは、別名児童家庭サービス(Department of Children & Family Services, DCFS)とも呼ばれ、日本で言えば児童相談所の役割を果たしています。

日本の児童相談所と同じように、アメリカでは虐待が疑われる場合、必ず児童福祉局に連絡をし、児童福祉局のスタッフが調査をし、援助システム(里親など)を検討します。

本作では、「サムに養育能力がない」と判断した児童福祉局が、サムとルーシーを引き離します。あっという間に、裁判に切り替わりますが、児童福祉局が介入する前後でどういった手順が踏まれているのでしょうか?

以下、児童福祉局による虐待介入を例に取ります。

アメリカの虐待介入は、「児童虐待報告」から始まります。学校や医療機関からの報告が多いのですが、文書での報告よりも先に、「緊急班」に電話連絡が入り、事案が虐待報告に該当するかどうかの相談から始まります。虐待(の可能性)を目撃しながら報告を怠った場合、医療・教育・福祉などの専門職は、資格剥奪を含む処分が法律で規定されています。

外部からの相談を受ける緊急班のインテークワーカーは、コールセンター・スタッフのようにヘッドフォンマイクをつけ電話対応に追われていました。その緊急班の仕事のひとつが、「緊急介入」(子どもの身柄の確保、親からの分離など)の必要性に関するスクリーニングです。大容量のサーバーにつながれたコンピューターに映し出された過去の虐待報告・介入歴を参考に、緊急介入が必要と判断されたケースは「緊急介入班」に報告され、具体的な介入が行われることになります。

緊急介入により、子どもを親から分離した場合、ほとんどが当日、少なくとも2日以内には、契約している里親に預かってもらいます。特別な理由がない限り、一時保護所で1週間以上過ごすことはありません。思春期以降の子ども達は里親家族から逃げてホームレスになってしまうことがあり、子どもの年齢が高いほど里親家族ではなく、施設入所になる場合がありました。 最初に介入が行われて3~6週間で裁判が行われます。裁判では、まず児童保護課(行政)の介入(親からの分離など)が適切だったか判断されることになります。介入が適切と判断された場合、子どもを取り戻すための保護者に対する「条件」が、裁判官によって言い渡されることになります。

保護者に薬物やアルコールなどの依存があればそのリハビリテーション、生活全般に改善が必要ということであれば生活保護や就労サービスなどの活用による生活の立て直し、アンガーマネジメント(怒り感情の管理)やペアレント・トレーニング等々、裁判官がそれぞれのケースに応じて言い渡すのです。それらの条件は、実際には児童保護課のアセスメント班が作成して、参考資料として裁判官に提出しますが、それを児童保護課(行政)ではなく、裁判官が言い渡すということが重要なポイントです。裁判所は達成状況を3~6カ月ごとに見直し、子どもを家族に戻す決定のための参考にします。

引用:沖縄タイムス「日米の児童虐待への介入の違い〜三権分立は日常生活に機能しているか?」

児童福祉局では、虐待の可能性があると報告を受けると必ず調査をし、客観的事実をもとに介入方法を検討・実行します。

本作では、サムの誤認逮捕により児童福祉局がサムの養育能力を疑い、学校に連絡をします。その後、児童福祉局はソーシャルワーカーを使って調査をし、ルーシーの誕生日パーティーの時に「養育能力がない」と報告が入ります。ルーシーの身柄を確保し、サムの知能や養育費の問題などから、親と子供を引き離すのがベストと考えました。そうして、児童福祉局はサムとルーシーを引き離すことに至ったのです。

ソーシャルワーカーとは?

ルーシーの誕生日パーティー当日、ソーシャルワーカーがやってきてルーシーは引き取られてしまいます。その後もサムとルーシーの面会時には必ずソーシャルワーカーが付き添っていますが、ソーシャルワーカーとはどういった職業なのでしょうか?

日本ではソーシャルワーカーという言葉があまり知られていませんが、アメリカでは既に幅広く認知された職業です。

基本的に、ソーシャルワーカーは、ホームレス、障害者、アルコールや薬物依存者、精神疾患者、高齢者、ドメスティックバイオレンス(DV)の被害者、そして、虐待を受けた子供など、社会で弱い立場にある人のお手伝いをします。仕事の分野は多岐に渡ります。患者の心のケアを専門とする一方で、社会的にサポートの必要な人達の課題について政府に問題提起し、問題解決のための政策を練る専門家でもあります。

児童福祉局と同じように、本作でのソーシャルワーカーの描かれ方は、規則に忠実で融通がきかず、映画を観た人たちにとってはソーシャルワーカーに決していいイメージを抱かないかもしれません。

しかしソーシャルワーカーは、児童保護法により児童の福祉を最優先するのが大原則で、親の気持ちは 忖度されないため、やや誇張された描き方がされていたと言えます。

『緑の卵とハム』って実在する絵本?

サムとルーシーが大好きな絵本として、ドクター・スースの『緑の卵とハム』という絵本が登場します。あれだけ楽しそうに読んでいると、この本って本当にあるの?どんなお話なの?と気になった方も多いんではないでしょうか。

実際、この絵本はアメリカで販売されていて、英語圏でほとんど知らない人はいないくらい有名な絵本だと言われています。

またドクター・スースは、アメリカを代表する絵本作家として有名です。

https://www.kidsmart.jp/SHOP/9780008201470.html

『緑の卵とハム』のあらすじは、食べず嫌いをなくそうというお話です。

一匹のサルがあの手この手を使い、緑の卵焼きとハムという一見グロテスクに見える食べ物を毛むくじゃらのおじさんに執拗に勧め続けます。おじさんは断固として受け付けませんが、最後には根負けして一口食べるのです。すると「うまい!美味しいじゃないか!私の大好きな味だ!」と叫びます。

子供用の絵本ですが、その物語には「試してもいないのに諦めるな!」という強いメッセージも込められています。

サムのお気に入りアイホップとは?

サムは友人たちとアイホップ会を開くほどアイホップが大好きでした。一度だけルーシーに誘われて行ったビッグボーイで、サムはいつも通りフルーツとクリームが添えられたパンケーキを注文しますが、店員にそのメニューはないと言われ、怒ってしまいます。

サムは、アイホップ以外のパンケーキは認めない!というほど大好きなアイホップですが、どういったお店なのでしょうか?

アイホップ(IHOP)は、"The International House of Pancakes"の略で、朝食メニューに特化したアメリカを本拠とするレストランです。

1958年ロサンゼルスのトルカレーク地方でオープンして以来、今ではアメリカ、中南米、中東、東南アジア、オセアニアに1650店舗を展開している大きなチェーン店です。店舗によっては、24時間営業のところもあります。

1978年には、日本にも上陸しましたが、International House of Pancakes社と提携していた長崎屋の倒産により2000年に撤退してしまいました。

もう一度見たくなった方へ

『アイ・アム・サム』の色々な疑問について解説してきました!

ですが物語についてより理解すると、もう一度本作が見たい!と感じた方もいらっしゃるかもしれません。そんな方々に、今度見るときに注目してほしい2つのポイントについてご紹介します。

ポイント①支え合い

この映画では、障害者への一方的な支援という描き方ではなく、双方向の助け合いが描かれており、そこからは、障害有無に関わらずそもそも人間は助け合って生きていくものだというメッセージを読み取ることができます。

例えば、隣人のアニーは、サムに子育てのアドバイスをしたり、仕事で忙しいサムのためにルーシーを預かって、面倒を見ます。サムの友人たちも、ルーシーが履く入学式用の靴を買う時には、お金を出し合って一緒に購入します。

またリタはサムに「私の方があなたに救われた」と打ち明けるように、サムとルーシーのお互いを思いやる関係見て、自分と息子の関係を修復し、サムのアドバイスにしたがって浮気する夫にも別れを告げることができました。

この作品が泣ける!と言われているのは、どんな人間でも人と支え合って生きていくものだといった普遍的なテーマが描かれているからこそかもしれません。

ポイント②周囲の違和感

この映画においては、障害の有無よりも周囲の偏見や圧力によって可能性が閉ざされるという様子が描かれます。

普段の生活では、障害をもつ人々の側から周囲の人間がどのように見えるか体感する機会は稀です。この映画では、サムへの感情移入を通じて視聴者をサム側に立たせることで、周囲の人間がどのように見えるのか気づきを与えています。またサムの周囲の人々と自分を対比して、自身が無意識に抱いていた偏見に気づくきっかけを与えています。

あるシーンでは、ルーシーは、サムが読めない言葉を読むことを拒否します。しかしサムは、そこではっきりと「読みなさい。私は父親だから命令する。」と今までの穏やかで優しい父とはうってかわって、娘のために真剣に怒る父親の姿がありました。

障害のあるなしに関わらず、子供が両親の学歴より良い大学に行くことはごく一般的です。ルーシーとサムの場合は時期の誤差でしかないのに「ルーシーの学業に影響を与える!」と親子を引き離そうとする周囲の人々の様子を、サムの立場にたつと非常に腹立たしい出来事であると共感できます。

またサムとリタが食事の支払いをする時には、リタが支払おうとするとサムが「君もサムに注文は無理、お金も払えない、子育ても無理と思っているんだろ」とリタが支払うことを断固拒否します。

リタはおそらく良かれと思ってこのような行動を取ったのでしょう。しかしそれは本人にとって望んでいる行動であるとは限りません。

現実の生活においても自分が良かれと思って行動するときに本当にその行動が望まれているかどうか考えずに行動してしまうことがあります。

それらの行動の背景には、「そうすべき」といった個人の信条もあれば、「障害があるから」という固定観念が潜んでいる場合もあります。この映画では、もし自分がする側だったらされる側だったらという気づきが随所で得られます。

まとめ

今回は『アイ・アム・サム』の疑問について詳解してきました。背景を知るとさらに映画が楽しめますね。

疑問がスッキリしたところで、もう一度作品を見たくなった方はこちらからどうぞ!

https://tsutaya.tsite.jp/item/movie/PTA00007ZA6X

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